生き苦しい女子は海外に出るのが吉
ふと読んだ、最近海外での活躍がめざましい桃井かおりのインタビュー
半分SK-2の広告ですが自分にも覚えのあるところがあって面白かった。
特にここ。
実はLAに拠点を移したのは欲をかいていたのではなくて、日本って歳を重ねた女性があまりいい目に遭わないでしょう。女優という職業はその最たるものだから、ある程度定年を自分で決めないといけないと思っていました。そんなことを考えていた時に海外から仕事のオファーがあって、その勢いにのって住み始めたんですよね。本音を言えば、「上手くフェイドアウトするぞ」と思っていたくらい。
これには正直驚きました。
桃井かおりって男をうまく転がすしたたかな女性というよりは男勝りにバリバリやっていく印象があったので、ずっとバリバリやっていくんだと思っていました。退き際なんて考えていたとは。
いや、だからこそ考えたのかもしれませんね。
私には日本で働いていた頃にあったことで、今でも覚えている出来事があります。
当時私のいた部署は研究開発部署で毎年アメリカで行なわれる学会へ数名出張していました。
その学会では論文発表の他に講義形式のセッションがあり、毎年業界の名だたる会社の人達が自社技術の発表をする人気のコースがあります。もともと外国に興味のあった私はわりと若いうちから毎年のように行かせてもらい、そのコースを聴講していました。
ある年私は諸事情で行けず、中途の人と入社4,5年目くらいの後輩が行ってきました。彼らが帰って来てそのコースの話を聞こうと「どうだった?」と尋ねると、
彼らが発した言葉はこれだけ。
「なんか(笑)、おばさんが仕切ってました」
確かに毎年その講義を仕切っていたのは女性でした。自身も研究職で、私が学会に参加し始めた頃にそのコースを企画し立ち上げ、毎年恒例のコースにするために奔走してきたその道では有名な方です。その方なくしてこの人気コースは実現しませんでした。
そもそもうちの業界のR&Dにいてその人を知らないこと自体がモグリ認定だというのに、女性だとおばさんと呼ぶだけで思考停止するのか。というか同業他社の発表内容に関して聞いているのに他に言うことないのかこいつらは?
かなりびっくりしてしまったと同時に、
今後自分がここで働き続けたらこういう人たちにやはりおばさんと言われて話も聞いてもらえないのかもしれない
と、ショックを受けました。
でも少し冷静になれば、きっと日本にはこういう思考の人達が多くいるんだろうな、と容易に想像ができたのも事実です。
そんなことがあって今後どうするかモヤモヤしていたところにシンガポール行きの話が舞い込んできたのです。
私には断る理由がありませんでした。
あれから5年。
いやー、海外、居心地がいい
まだまだ帰りたくないね!
と桃井さんも思っているんじゃないかと思うこの頃です。