Labrador Park 史跡
以前から行きたかったLabrador Parkの砲台跡。最近Labrador Parkへ行く機会があったので歩いてきました。
Labrador ParkへはサークルラインのLabrador Park駅が最寄りです。まずは奥側の公園入り口へ向かいました。駅からは1.2km。徒歩だと20分強かかります。
セントーサと合わせて挟み撃ち
ここのあたりは古くは海賊の根城だったとかなんとか。
東を見るとKeppel Bay。
ここはシンガポールの港へ入る海路の西側の玄関口でした。
Labrador Parkの丘に砲台が築かれたのは19世紀で、その頃新しく出来た港New Hourbour(Keppel Harbour)への敵船の侵入を阻むのが狙いでした。セントーサのシロソ砦とこのラブラドールの砦(Fort Pasir Panjang)で挟み撃ちして一網打尽というところですね。
見にくいですがこれはシンガポールの港とそれを守る大砲のカバー領域を示した地図です。
横一文字に作られた堤防の北側はTanjiong Pagar旧鉄道駅前です。港の中はまさに陸路と水路の中継基地。重要な拠点だったのがわかります。
砲台エリアへ登る
公園入り口へ戻り、砲台跡のある丘へ向かいます。
現在のLabrador Parkの海に面した南側は平らでプレイグラウンドなどが整備されているよくある海沿いの公園ですが、この南側は埋め立てて整備されたものです。昔の海岸はこんな感じだったそうな。
海岸から急に高くなっている地形だったことがわかります。この高台は現在の北側に残る丘陵地で、砲台はこの丘陵部分に設置されていました。
砲台へ続く道の入り口はバス停の横にあります。このレンガの切り通しも遺構のひとつです。
坂道を登って行くとまず見えるのが第四砲床。
見晴らしは…すこぶる悪いですなあ
もちろん以前は良かったんでしょうね。ここは現在自然保護区でもあるので木々が生い茂っております。
下の図によるとこの丘には全部で9つの砲床が作られたようです。
第二次大戦の頃1941年には先ほど行ってきたDragon Teeth Gateの付近の小さな丘にも大砲が配備されていたようです。
見所は第三砲床付近
坂道をさらに登ると第三砲床に着きました。第三砲床付近は地下トンネルや見張り台などの施設が残っているので見応えがあります。
一段高くなった場所まで上ると見張り台がありました。やはり見晴らしは悪いですが・・・
トンネルは残念ながら中には入れません。
これはトンネルというか地下施設に通じる通路です。この地下施設は第三砲床の真下まで続いており、中には弾薬庫や地上の砲床へ弾薬を直接補給できるリフトがあったそうです。
この見取り図を見た後トンネルの向きと第三砲床の位置を確認してみると、「おお〜確かに!」となります。
記念碑周辺は読みごたえ抜群
第三砲床からさらに高台へ進むとLabrador砲台の記念碑がありました。
この記念碑の後ろには立て札がいくつも立っていて、だいぶ読み応えがありました。もうとりあえず全部カメラに収めて後でじっくり読もう…
その中で興味深かったのがこれ。
神話1:そもそも北から攻めて来るのは想定外だった
日本軍はシンガポールの北側から侵入しました。
もともと英国の仮想敵国は西側から来るヨーロッパや北アフリカの国々。マレー半島はその頃まだ一面ジャングルで、マレー半島北東からシンガポールまで陸路を来るのは不可能だと思われていたのです。確かに「敵は南から来るもんだ」と思っていて南側にばかり防衛拠点を築いてきたとすれば完全に意表を突かれたことになります。
実際のところは日本軍がマレー半島へ侵攻した頃には既にマレー半島の海岸沿いにJohor Baruまで続く道路が出来ていたため、イギリスは北側の防衛の重要性に気づいついて実際作戦も練っていたとのことです。
ただ、実戦でうまくまわらなかったと…
神話2:大砲の向きが南から北へ変えられなかった
日本軍が北から攻めてきたのであわてて大砲の向きを南から北へ向けようとしたが大砲が回せなかった。という説。
実際のところは本当に向きを変えられなかったのはBuona Vista Batteryの2基の大砲だけだったそうです。ただ、大砲自体は回転できるのにコンクリートの壁が邪魔で360度は回せなかったという事例は多々あったそうです。
神話3:大砲は何の役にも立たなかった
そんなことはないよ、といくつか事例が書かれていました。(あまり活躍しなかったのは事実なので省略)
もうひとつの説明版にはなぜ大砲が効果的に利用できなかったのかというのが書かれていました。
- 大砲周辺に築かれたコンクリートの壁のせいで360度回転させるのが困難な大砲がたくさんあった。このためJohore Batteryでは壁を壊すことになった。
- 対歩兵に有効な炸裂弾があまり配備されていなかった
- そもそもこの丘に設置されていたような船を狙うための大砲は弾道が直線を描く必要があるそうで、北から攻めてくる日本兵をめがけて丘越しに谷に落とすような曲線的な軌道を描いて当てるのには向かなかった
などが主な理由だそうです。
アクセス
今回は奥側の公園入り口から入り、手前へ戻るルートを歩きました。ピンを打ってあるのが奥側の入り口です。
奥、手前入り口両方にバス停がありますが、本数は少なく週末のみの運行です。
歩き倒したい方は逆に手前側の公園入り口から入って丘を歩き、Labrador Park東側からBukit Chermin Boardwalkを抜けてHarbour Frontまで歩くこともできます。海沿いを歩くことになるので日差し対策やお水はお忘れなく。
Bukit Chermin Boardwalkへ抜けるトレイルのパンフレット